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福岡高等裁判所 平成元年(ツ)35号 判決

上告人(原告)

大丸谷勇一

被上告人(被告)

浜田善猷

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由第一点について

交通事故により中古車両を破損された場合において、当該車両の修理費相当額が破損前の当該車両と同種同等の車両を取得するのに必要な代金額の基準となる客観的交換価値を著しく超えるいわゆる経済的全損にあたるときは、特段の事情のない限り、被害者は、交換価値を超える修理費相当額をもつて損害であるとしてその賠償を請求することは許されず、交換価値からスクラツプ代金を控除した残額の賠償を求めることができるにすぎないが、右交換価値の評価は当該車両の製造会社、車種、年式、使用状態、走行距離、その車種の需要度、市場の動向等の具体的要因を証拠により個別に算定して決定されるものであると解すべきところ、原審が証拠により適法に確定した事実によれば、本件事故により上告人所有車は主にその後部と前部に損傷を生じ、この修理代見積額としては金二三万五六一〇円であるのに対し、上告人所有車の本件事故当時の時価は年数経過による価格の低下を考慮し、最高価に見積つても金一〇万円にすぎないというのであるから、本件事故による上告人所有車の損害を金一〇万円と算定した原審の認定判断に損害に関する評価、判断を誤つた違法はない。

上告人は、上告人所有車と同種同等の車両を取得しこれを運行の用に供するためには車の購入費用のほか登録料、手数料、ナンバー代、自動車取得税等直接的な取得費用及び同種同等の車両を探すため等の間接的な取得費用の支出が必要であり、右の諸費用は、本件事故と相当因果関係がある損害である旨主張する。確かに、上告人が上告人所有車と同種同等の車両を中古車市場において取得しこれを運行の用に供するためには車の購入費用のほか登録料、手数料等車の購入に付随する諸経費の支出が必要であることは明らかであるが、右の諸経費の額は一般的、抽象的に確定しているものではないのであるから、上告人において、本件の場合、一〇万円程度の車の購入に当たつて上告人が直接間接に支出を必要とする旨主張する諸経費として具体的、個別的にどのような費目について何程の支出を要するかを立証すべき筋合いであるに拘らず、被上告人において立証すべき上告人所有車のスクラツプ代金と同様、右立証を尽さず、したがつてこれを認めるべきなんらの証拠がない以上、訴訟法上、上告人主張の諸経費を損害として参酌算定すべき手立てはないのであつて、裁判所としては、当事者が損害算定の基礎となるべき事実として立証した範囲において損害額を算定すれば足りるものといわなければならない。しかして、この種損害の算定に当たつては、車の購入代金額と付随諸費用の多寡及び不法行為と相当因果関係ある損害の意味、内容等からして、事実審裁判所として当事者に対し車の購入に付随して被害者が支出すべき諸費用等の主張及び立証を促すべき釈明義務を負担すべきいわれはないというべきであるから、損害額の算定についての原審の措置に違法はなく、原判決に理由齟齬の違法はない。なお、上告人主張の自動車取得税については、取得価額が一五万円以下の自動車の取得に対しては自動車取得税が課せられない(地方税法六九九条の九)から、本件の場合主張自体採用できず、そのほかの論旨も失当であり採用することができない。

同第二点ないし第六点について

上告人は原判決の民法一条二、三項、九〇条、七〇九条、民訴法三四〇条違反をいうが、いずれも、原判決の損害額の算定につき、右各法条の趣旨を誤解し、かつ、不法行為による損害算定について独自の解釈を前提として原判決の不当を論難するか、原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するものであつて採用に価しないものである。原判決に所論の違法はない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 鍋山健 松島茂敏 湯地紘一郎)

上告理由

第一点 控訴裁判所の判決は民事訴訟法第三九五条一項六号に該当するので、控訴裁判所の判決は破棄されねばならない。第二審判決の理由の二の1の後半部に(ヽヽヽ略ヽヽヽ)被害者が、同程度の同車種の車に買い換えるのでなく(ヽヽヽ略ヽヽヽ)とあり、また同じく二の2の後半部に、被控訴人が控訴人所有車に代わる同程度の同車種の車を購入するためには、二週間程度の期間で足りると解するのが、経験則上相当であるから(以下略)とあるが、被上告人から買い換えのための同程度の同車種の車の提供を受けたことはない。それどころか、示談交渉のための連絡もなく、社会通念上、加害者として当然の行為である、お詫び等のための面会も一度もない。民法第一条二項に違反する極めて悪質・悪意に満ちた、著しく社会的妥当性を欠く行為である。上告人の方で、同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供するためには、車の購入費用と共に、登録料、手数料、ナンバー代、自動車取得税、自動車重量税、自動車賠償責任保険料、自動車保険料等の直接的な取得費用及び同程度の同車種の車を探すため等に要する間接的な取得費用並びに手間隙かかるのは、社会通念上及び経験則上、自明の理である。時価一〇万円の車を同程度の同車種の車に買い換え運行の用に供することができるためには、車の購入費用一〇万円以外に、直接的な取得費用及び間接的な取得費用並びに労力及び時間を要し、一〇万円を超えるのは自明の理である。時価一〇万円の車を同程度の同車種の車に買い換え、運行の用に供するためには、一〇万円を超えるのは自明の理であるのに、どうして主文のような結論がでたのかわからない。主文と理由は矛盾している。被上告人は不法行為後、信義則上の応渉義務を怠たり、損害賠償の義務を信義に従い誠実に履行しないので、上告人の車は甲第二号証及び甲第五号証のとおり、道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となり、運行の用に供することができず、その修理には、甲第二号証のとおり、二三万五六一〇円を要する。

判決理由のように、上告人の所有車の損害を金一〇万円とみての賠償では修理できないため、運行の用に供することができず、また同程度の同車種の車に買い換えて、運行の用に供することもできない。

第二審判決の主文と理由は齟齬しており、民事訴訟法第三九五条一項六号に該当するので、第二審判決は破棄されねばならない。

第二点 控訴裁判所は民法第一条二項に違反した判決をしている。

(1) 上告人の破損した車の使用価値は一七万五九二〇円を超える。

上告人の車は平成元年一月二〇日の準備書面で陳述したが、何らの反論もないとおり、事故の日から、次の車検日平成元年一〇月一六日まで一年以上の期間があり、その間は車検を受けることなく使用できる。上告人の車は平成元年一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが、何らの反論もなかつたとおり、他の車と何ら変わることなく、同じように目的地へ運んでくれる。上告人の車は一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが、何らの反論もなかつたとおり、ふくみつ病院への週三回の通院及びその他諸々の用件等に使用していた。通院日は事故の時から、次の車検日まで一五九日あり、仮にバス代に換算すると、五月八日からバス代が変更になつており、事故の時から平成元年五月五日までは通院日が八九日で往復運賃が一〇八〇円ですから九万六一二〇円となり、五月八日からは通院日が七〇日で往復運賃一、一四〇円ですから、七万九八〇〇円となり、合計一七万五九二〇円となります。週七日のうちの三日の通院をバス代に換算するだけでも、これだけになり、その他諸々の用件等や次の車検後の分を加えると価値はもつと増加する。

よつて、事故の時から、次の車検日まで一年以上あること、他の車と何ら変わることなく同じように目的地へ運んでくれること、週七日のうちの三日の通院を次の車検日までのバス代に換算するだけでも、一七万五九二〇円あること等を考えると、使用価値は一〇万円は、もちろん一七万五九二〇円を、はるかに超えるのは社会通念上、自明の理である。

(2) 上告人の車を使用できないための損害額は、一四万五一四〇円を超える。

一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが、何の反論もなかつたとおり、破壊された軽自動車を上告人は、一週間に三回、一回五時間の夜間透析治療を受けるための通院及びその他諸々の用件等に使用していた。不法行為後に加害者である被上告人からは示談交渉のための連絡はなく、またお詫び等のための面談もなく、そしてただの一度の面会もありません。被上告人が、不法行為後の応渉義務を怠たり、損害賠償義務の履行を信義に従い誠実に為さないので、上告人の通院のための足とも言える軽自動車が、通院に使用できないので、徒歩とバスによる苦痛の通院を余儀なくされ、途方に暮れている。上告人には何ら責任はないのに、それまでの平穏な通院生活が一変し、不自由な苦痛の通院生活を強いられている。八月一六日の準備書面で陳述したが、何の反論もなかつたとおり、事故の時から平成元年八月一四日までの通院バス代は一四万五一四〇円である。八月一四日以降の分やその他諸々の用件等の分を加えると損害額は、もつと増加する。

(3) 乙第三号証の1ないし6及び証人津田正裕の証言を本件に採用するのは民法第一条二項に違反し、それによる時価一〇万円程度という推定額には、信憑性及び正確性がない。

乙第三号証の1ないし6は、昭和五三年、昭和五四年、昭和五五年の著しく古い中古車価格月報で、上告人の破損した軽自動車の損害額を、この著しい古い価格月報により推定しているが、当時と現在の貨幣価値の相違及び走行距離・使用状態等を何ら考慮することなく、また評価する車を、ただの一度も一見することもなく、ただ単に、著しく古い中古車価格月報により中古車価格を比較し、保険金を支払う側の者である証人津田正裕の我田引水的な主観にもとづいて推定したものであり、このような著しく古い価格月報のみによる画一的な簡便な推定は、特定的な個別的な評価に比べると精敏さ、精確さに劣り、その評価に充分な信憑性及び正確性がないのは自明の理である。そこには破損した車を特定し、個別的に、真に正確に評価をし、損害賠償の義務を信義に従い誠実に履行しようという行為をみることができない。車は一度ユーザーが購入すると、それぞれ全く違つた使われ方をされ、全く同一に使用されないのは自明の理である。年月が経過すればするほど各車ごとの個々の相違は大きくなつていくものである。損害額は車での通院が可能となる全費用と車での通院が可能となるまでの間に生じた車を使用できないための費用等と解するのが相当であるにもかかわらず、あえて被害者が救済されない時価額を損害額とみるのであれば破損した車を特定し、真に正確な時価を個別的に算定しなければ社会的妥当性があるとは言えない。上告人の破損された車を特定し、真に正確な時価を個別的に算定せず、それどころか、著しく古い中古車価格月報だけを使用し、当時と現在の貨幣価値の相違及び走行距離・使用状態等を何ら考慮することなく、そして評価する車をただの一度も一見することもなく、ただ単に著しく古い中古車価格を比較し保険金を支払う側の者である証人津田正裕の我田引水的な主観にもとづく推定による算定は、不法行為の損害賠償を履行するものとして、非常に不誠実な態度であり、著しく社会的妥当性を欠き、民法第一条二項に違反する行為である。かかる簡便な推定による、上告人の破損した車の時価一〇万円程度という推定額は、信憑性及び正確性がない。

(4) 上告人の車は被上告人の不法行為により、道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となり、その修理費用は二三万五六一〇円である。

被上告人が不法行為後、信義則上の応渉義務を怠たり、損害賠償の義務を、信義に従い誠実に為さないので、上告人の車は甲第二号証及び甲第五号証のとおり、道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となり、運行の用に供することができず、その修理費用は、甲第二号証のとおり、二三万五六一〇円である。

(5) 損害額を一〇万円とみての賠償額では、加害者のいう時価一〇万円と同程度の同車種の車に買い換えて、運行の用に供することはできない。

被上告人からは買い換えのための同程度の同車種の車の提供は全くない。それどころか、社会通念上、不法行為の加害者として当然の行為である、示談交渉のための連絡はなく、お詫び等の面談もなく、そして、ただの一度の面会もない。不法行為後の適切な処置を放棄し応渉義務を怠たり、かかる上告人の行為は民法第一条二項に違反する、著しく社会的妥当性を欠く行為である。被上告人のいう時価一〇万円の車と同程度の同車種の車を上告人の方で探し、買い換えて運行の用に供するためには、車の購入費用一〇万円以外に登録料、手数料、ナンバー代、自動車取得税、自動車重量税、自動車賠償責任保険料、自動車保険料等の直接的な取得費用及び同程度の同車種の車を探すための間接的な取得費用並びに労力及び時間を要し、十万円を超えるのは、社会通念上及び経験則上、自明の理である。

(6) 以上のとおり、使用価値及び損害額は、十万円をはるかに超えているのにもかかわらず、信憑性及び正確性がない、極めて悪質、悪意に満ちた加害者のいう時価十万円程度を損害額とみての賠償では、修理できないため運行の用に供することができず、また同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することもできない。上告人には何ら責任はないのに、車を通院その他に使用できず、完全賠償とはならず、損害賠償の義務を信義に従い誠実に為したとは言えない。損害額は車での通院が可能となる全費用と車での通院が可能となるまでの間に生じた車を使用できないための費用等と解するのが相当であるにもかかわらず、上告人の破損された車を特定して、真に正確な時価を個別的に算定したものでないところの信憑性及び正確性のない画一的な簡便な推定による被害者が救済されない損害額を採用して、上告人の車の損害額を一〇万円とみての賠償が相当であるとした控訴裁判は、民法第一条二項に違反する違法な判決である。

第三点 控訴裁判所は民法七〇九条に違反した判決をしている。被上告人は車を運転して、安全運転義務及び前方注視義務を怠たつた過失により、病気治療のため駐車場に駐車中の上告人の軽自動車に後方正面より衝突し、上告人の車を前方のフエンスに衝突させた。この不法行為により、上告人の車は前部及び後部を破損し、甲第二号証及び甲第五号証のとおり、道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となり、運行の用に供することができなくなり、その修理費用は甲第二号証のとおり、二三万五六一〇円である。

平成元年一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが、何の反論もなかつたとおり、事故の時から次の車検日まで一年以上の期間があり、その間は車検を受けることなしに車を使用できること、上告人の破損した車は他のいかなる車と何ら変わることなく目的地へ運んでくれること、上告人の車は週三回の通院及びその他諸々の用件等に使用しており、事故の時から次の車検日までの通院をバス代に換算するだけでも、一七万五九二〇円あり、その後の分やその他諸々の用件等の分を加えると使用価値はもつと増加すること等を考えると、不法行為により破損した上告人の車の使用価値は一七万五九二〇円をはるかに超えるのは自明の理である。

一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが、何の反論もなかつたとおり、被上告人は、不法行為後、信義則上の応渉義務を怠たり、不法行為の加害者として社会通念上当然の行為である示談交渉のための連絡はなく、お詫び等のための面談もなく、そしてただの一度の面会もありません。極めて悪質、悪意に満ちた著しく社会的妥当性を欠く、民法一条二項に違反する行為である。被上告人が損害賠償の義務を信義に従い誠実に履行しないための車を通院及びその他諸々の用件等に使用できないための損害は、事故の日から平成元年八月一四日までの通院バス代だけをとつてみても一四万五一四〇円となり、その後の通院バス代及びその他諸々の用件等の分を加えると、損害額はもつと増加する。被上告人は損害額一〇万円を主張したが、その損害額算定は著しく古い中古車価額月報のみを使用し、保険金を支払う側の者が、自己に都合が良いように、当時と現在の貨幣価値の相違及び走行距離・使用状態等を何ら考慮することなく、そして評価する車をただの一度も一見することもなく、ただ単に、著しく古い中古車価格を比較して、我田引水的な主観にもとづいて、画一的に簡便に推定したものであり、八月一六日の準備書面で陳述したが何の反論もなかつたとおり、その評価に信憑性及び正確性がない。

被上告人からは車を買い換えるための同程度の同車種の車の提供は全くない。それどころか、信義則上の応渉義務を怠たつており、不法行為後に何ら適切な処置を行なわず、事故の責任を放置及び放棄したままである。上告人の方で被上告人のいう時価一〇万円の車と同程度の同車種の車に買い換え運行の用に供するためには、車の購入費用一〇万円以外に、登録料、手数料、ナンバー代、自動車取得税、自動車重量税、自動車賠償責任保険料、自動車保険料等の直接的な取得費用及び同程度の同車種の車を探すための間接的な取得費用並びに労力及び時間を要し一〇万円を超えるのは社会通念上及び経験則上、自明の理である。

以上のとおり、使用価値及び損害額は一〇万円をはるかに超えているにもかかわらず、信憑性及び正確性のない損害額一〇万円とみての賠償では車を修理できないため、運行の用に供することができず、また、同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することもできない。被害者は救済されず完全賠償にならず、社会正義に反し、法秩序の破壊である。対物損害は完全賠償が原則であるから、元どおりにする全費用が基本である。物の一部毀損の場合は修繕料が通常生ずる損害額である。車による通院が、可能とならない限り元どおりとは言えず、完全賠償とはならない。

よつて、上告人の破損した車を特定して真に正確な時価を個別的に算定したものでない、信憑性及び正確性のない画一的な簡便な推定により、損害額一〇万円とみての賠償では、被害者は修理できないため、運行の用に供することができず、また同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することもできず、完全賠償とはならず、控訴裁判は民法第七〇九条に違反する違法な判決である。

第四点 控訴裁判所は民法第一条三項に違反する判決をしている。判決理由の中に賠償を求め得る額は、車両の時価を限度とすると解するのが相当であるとおり、それにより信憑性及び正確性のない時価一〇万円を損害額とみての賠償は民法第一条三項に違反している。

八月一六日の準備書面により陳述したが、何の反論もないとおり、交換価額は多数の商品が市場において自由競争の結果生じるものであり、かつ商品の数量や売手、買手の数量によつて定まるもので、常に客観的価額が存在するものでない。時価は時価であつて、その物自体の価額を表現したものでない。売れば安いが、使用すれば交換価額よりも価値がでるという使用価値の高いものもある。上告人は売るために軽自動車を所有しているのでなく使用するために所有しているものである。物の一部毀損の場合には修繕料が通常生ずる損害額である。対物損害は完全賠償が原則だから、元どおりにする全費用が基本である。車による通院が可能にならない限り、元どおりとは言えず、完全賠償とはならない。

被上告人の不法行為により、上告人の車は甲第二号証及び甲第五号証のとおり、道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となり、運行の用に供することはできず、その修理費用は甲第二号証のとおり、二三万五六一〇円である。

被上告人は不法行為後、信義則上の応渉義務を怠たつており、車を買い換えるための同程度の同車種の車の提供を受けたことは全くない。上告人の方で加害者のいう時価一〇万円の車と同程度の同車種の車に買い換え、運行の用に供するためには登録料、各種の公租公課料、各種の保険料等の直接的な取得費用及び同程度の同車種の車を探すため等の間接的な取得費用並びに、労力及び時間を要し、一〇万円を超えるのは社会通念上及び経験則上自明の理である。

一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが、何の反論もなかつたとおり、使用価値及び損害額は一〇万円をはるかに超えているにもかかわらず、損害額を一〇万円とみての賠償では、修理できないため、運行の用に供することができず、また同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することもできないため、完全賠償とはならない。使用価値及び損害額は一〇万円をはるかに超えているのに、損害額を一〇万円とみての賠償では、加害者は修理費用二三万五六一〇円を支払わなくてすみ、多大の不当な利益を得るが、被害者は修理することができないため、運行の用に供することもできず、また加害者のいう時価一〇万円の車と同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することもできない。

上告人には何ら責任はなく、被上告人の不法行為及び不法行為後の損害賠償義務の不履行により、損害は発生したものであり、加害者の不当利得と被害者の損失を比較すると、不法行為の被害者である上告人の不利益は自明の理である。加害者が損害額に被害者が救済されない時価を主張するのは、権利の濫用である。八月一六日の準備書面で陳述したが何の反論もなかつたとおり、極めて悪質悪意に満ちた加害者が主張する信憑性及び正確性のない時価一〇万円を損害額とみての賠償では、何ら責任のない不法行為の被害者が救済されず、これは権利の濫用である。このような社会的妥当性を欠く加害者の主張が保護されるのであれば、物を大切に、丁寧に使用しているものは、安心して生活することができない。

車を駐車する場所である駐車場にさえ、安心して車を駐車して、病気の治療を受けることもできない。余りにも何ら責任のない不法行為の被害者を軽視した理不尽さである。

よつて、賠償を求め得る額は車両の時価を限度とすると解するのが相当であるとし、極めて悪質、悪意に満ちた、社会的妥当性を著しく欠く加害者が主張する信憑性及び正確性のない時価十万円を損害額とみての賠償とした控訴裁判所は民法一条三項に違反した判決をしている。控訴裁判は法令の違反である。

第五点 控訴裁判所は民法第九〇条に違反した判決をしている。一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが何の反論もなかつたとおり、上告人からは、不法行為後、社会通念上加害者として当然の行為である示談交渉のための連絡はなくお詫び等のための面談もなく、そしてただの一度の面会もない。かかる行為は、民法第一条二項に違反する極めて悪質・悪意に満ちた不誠実さであり、著しく社会的妥当性を欠く行為である。被上告人が不法行為後の信義則上の応渉義務を怠たり損害賠償の義務を信義に従い誠実に履行しないので、上告人の足とも言える軽自動車が通院に使用できないので、徒歩とバスによる苦痛の通院を余儀なくされ途方に暮れている。上告人には何ら責任はないのに、それまでの平穏な通院生活が一変し、不自由な苦痛の通院生活を強いられている。不法行為さえなければ上告人は平穏無事の通院生活を送つているはずなのに被上告人が不法行為後の信義則上の応渉義務を怠たり、損害賠償義務の履行を迅速に、円満に、信義に従い誠実に為すという行為が認められないので、訴訟を提起するという負担、通院に車を使用できないという負担、将来も車を通院に使用できないのではないかという不安、車を使えない不自由な生活に対する負担など、不法行為の精神的苦痛、肉体的苦痛、経済的負担、不自由な生活の負担等が、被害者の方に転嫁されている。不法行為の被害者だけが苦痛を強いられており被上告人の行為は著しく社会的妥当性を欠く。

上告人の車は甲第二号証及び甲第五号証のとおり、道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となり、運行の用に供することができず、その修理費用は甲第二号証のとおり、二三万五六一〇円である。不法行為後、加害者である被上告人は応渉義務を怠たつており、車の買い換えのための同程度の同車種の車の提供は一度もない。上告人の方で探し、被上告人のいう時価一〇万円の車と同程度の同車種の車に買い換え、運行の用に供するためには、車の購入費用一〇万円以外に、登録料、各種の公租公課料、各種の保険料等の直接の取得費用及び、同程度の同車種の車を探すための、間接の取得費用並びに労力と時間を要し、一〇万円を超えるのは社会通念上及び経験則上、自明の理であり、損害額一〇万円とみての賠償では、同程度の同車種の車に買い換え運行の用に供することはできない。

一月二〇日及び八月一六日の準備書面で陳述したが何の反論もなかつたとおり、使用価値及び損害額は一〇万円をはるかに超えるのにもかかわらず、修理費用の支払いを拒み、あえて時価額による損害賠償を主張するのであれば、破損した事故車を特定し、個別的な、真に正確な方法により算定するのが社会通念上妥当な算定方法である。それにもかかわらず、被上告人は上告人の訴訟の無経験や、民事訴訟法及びその他の法の無知に乗じて、損害額算出に、乙第三号証の1ないし6の著しく古い中古車価格月報のみを使用し、保険金を支払う側の者である証人津田正裕は、八月一六日の準備書面で陳述したが何の反論もなかつたとおり、自己の都合が良いように、当時と現在の貨幣価値の相違及び走行距離、使用状態を何ら考慮することなく、また評価する車を、ただの一度も一見することもなく、ただ単に著しく古い中古車価格を比較して、我田引水的な主観にもとづいて信憑性及び正確性のない時価一〇万円程度という推定をした。損害額一〇万円とみての賠償では車を修理できないため、運行の用に供することができず、また同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することもできない。完全賠償とはならない。損害額は車での通院が可能となる全費用と、車での通院が可能となるまでの間に生じた車を使用できないための費用等と解するのが相当である。上告人には何ら責任はなく、損害は被上告人の不法行為により発生したものであり、不法行為後被上告人は信義則上の応渉義務を怠たつたこと、損害額算定に、被害者の無経験や無知に乗じて、特定的、個別的な真に正確な損害額の算出方法をとらず、画一的な簡便な算出方法により信憑性及び正確性のない損害額を推定したこと、信憑性及び正確性のない損害額一〇万円とみての賠償では被害者は救済されないこと等を考えると、損害額一〇万円とみての賠償は著しく社会的妥当性を欠くのは自明の理である。

不法行為後一年以上になるが、何らの被害者救済処置はとられておらず、人は法のもとに平等であるはずなのに、不法行為の被害者だけが、苦痛を強いられている。

控訴裁判は著しく社会的妥当性を欠く民法九〇条に違反する違法な判決である。

第六点 控訴裁判所は民事訴訟法第三四〇条に違反した中立性・公正さ、公平性に著しく欠けた福岡簡易裁判所に立脚した判決をしており、控訴裁判所の判決は破棄されねばならない。車の損害額を一〇万円とみての賠償では修理できないため運行の用に供することができず、また同程度の同車種の車に買い換えて運行の用に供することができない。損害は被上告人の不法行為及び不法行為後の応渉義務を怠たつたこと、並びに損害賠償の義務を信義に従い誠実に履行しないために発生したものであり、損害額は車の使用が可能となる全費用と、車の使用が可能となるまでの間に生じた車を使用できないための費用等と解するのが相当であるのに、どうして、被害者の主張が認められないのか不思議に思い、上告人は裁判の記録を閲覧した。第一審の簡易裁判所の当事者迅問のところで、上告人の証言したことを、正確に総べてを調書に記入しておらず、民事訴訟法第三四〇条に違反しており、第一審の簡易裁判所は、公平さ、公正さ、中立性に著しく欠けており、かかる調書に立脚した控訴裁判所の判決は破棄されねばならない。

重要な点を二、三指摘する。

証言のところで『お金を支払つたかどうかも覚えていません。領収書も貰つていないので、価格はわかりません』とあるが、お金を支払つたかどうかも覚えていませんとは証言していない。お金は支払つたと証言した。お金は支払つたが領収書が無いので価格はわかりませんと証言したものであり、真意は以前のことなので領収書が手元に保管されてなく、価格の証明ができないということであり、購入代金は支払つた。車は大阪市旭区太子橋三丁目二―二―一〇〇二(現住所は大阪市旭区太子橋三丁目二―六―八一二)の重富正行が結婚したので妻重富佐久子(旧姓田端)の軽自動車を売却するというので購入したものである。重富正行より妻重富佐久子の旧姓である田端佐久子名儀の車を購入し、重富正行に代金は支払つた。重富正行と上告人は当時会社の同僚であつた。購入代金を支払つたかどうかも覚えていませんと証言していない。代金は支払つたと証言したし、確かに支払いました。

それから証言に『家に置いて時々使用していますがトランクの鍵がかからなくなつたので長時間の駐車ができません。』とあるが、これもどうしても必要な時に使用したと証言し、そして『トランクの鍵がかからなくなつたので駐車場に駐車したままにしておくことができず、たとえばJR赤間駅に家族の者を送つて行つても、家族の者だけ降ろして、トランクの鍵がこわれていて駐車できないので、上告人は降りずにそのまま帰つてくるというようなことはできる。』と証言したものである。上告人は家族の者にゼンソクの持病があるので、宗像市自由ケ丘二―五宮原小児科医院(車で約八分)及び宗像市田熊一二〇一―一宗像医師会病院(車で約十分)まで車で連れて行き、そして他の家族が急病で歩行困難になつたので宗像市須恵三〇八上野内科医院(車で約二分)まで連れて行き、また家族の者を通学のため雨の日にJR赤間駅(車で約五分)まで送つたものである。いずれも近隣のところへ、どうしても必要なときに、甲第二号証及び甲第五号証のとおり道路交通法第六二条及び第六三条二項に該当する故障車両となつた車を、警察官にとがめられないよう、できるだけ人と車の少ないところを通つて罰金等という刑罰のリスクを負つて、背に腹はかえられずに使用したものである。真意は必要なものであるので、はやく使用できるようにしてほしいということである。

それから質問に記念品的価値・骨董的価値はどうかとあり、証言のところで『答えず』とあるが、答えずではなく答えた。『慣れた車で運転しやすく、愛着はあるが骨董的価値と言われても……』と答えた。どう表現していいか言葉につまり、困惑したものである。急に骨董的価値と聞かれても、車の合理性及び使用価値は認めるが、骨董的価値の条件に不明であり、どうすれば客観的な骨董的価値があるのかわからず返答に窮したものであり答えずでなく答えている。

以上の重要な証言でさえ、証言の総てを正確に記録しておらず、証言者の了解もなしに勝手に証言を取捨選択して、ニユアンスが証言者に不利になるように記録されており、ましてや他の証言は推して知るべしである。

控訴裁判所は民事訴訟法第三四〇条に違反した中立性、公正さ、公平さを著しく欠く簡易裁判所に立脚した判決をしており、控訴裁判所の判決は破棄されねばならない。

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